雨ニモマケズ
宮沢賢治・作
柚木沙弥郎・絵
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ヒデリノトキハ
ナミダヲナガシ
サムサノナツハ
オロオロアルキ
ミンナニ
デクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ

オツベルと象
宮沢賢治・作
荒井良二・絵
オツベルときたら大したもんだ。
稲扱器械(いねこききかい)の六台も据えつけて、のんのんのん
のんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。
そこへどういうわけか、白象がやって来た。
オツベルはやっと覚悟をきめて、稲扱器械の前に出て、象に話をしようとした。
パイプを右手にもち直し、度胸を据えて斯う云った。
「どうだい、此処は面白いかい。」
「面白いねえ。」象がからだを斜めにして、眼を細くして返事した。
「ずうっとこっちに居たらどうだい。」
百姓どもははっとして、息を殺して象を見た。
オツベルは云ってしまってから、にわかにがたがた顫え出す。
ところが象はけろりとして
「居てもいいよ。」と答えたもんだ。
「そうか。それではそうしよう。そういうことにしようじゃないか。」
オツベルが顔をくしゃくしゃにして、まっ赤になって悦びながらそう云った。
どうだ、そしてこの象は、もうオツベルの財産だ。
いまに見たまえ、オツベルは、あの白象を、はたらかせるか、サーカス団に売りとばすか、どっちにしても万円以上もうけるぜ。
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おきなぐさ
宮沢賢治・作
陣崎草子・絵

春の二つのうずのしゅげの花は
すっかり、ふさふさした銀毛(ぎんもう)の房にかわっていました。
ひばりがひくく丘の上を飛んでやって来たのでした。
「今日は。いいお天気です。どうです。もう飛ぶばかりでしょう。」
「ええ、もう僕たち遠いところへ行きますよ。
どの風が僕たちを連れて行くかさっきから見ているんです。」
「どうです。飛んで行くのはいやですか。」
「なんともありません。僕たちの仕事はもう済んだんです。」
「恐かありませんか。」
「いいえ、飛んだってどこへ行ったって
野はらはお日さまのひかりで一杯ですよ。」
「そうです、そうです。なんにもこわいことはありません。
もし来年も居るようだったら来年は僕はここへ巣をつくりますよ。」
11.3
この数字が「雨ニモマケズ・・・」の文章の最初に書かれています。
昭和六年の十一月三日だろうと言われています。
宮沢賢治が亡くなる二年前です。
賢治の死因は結核でしたが昭和六年の十一月頃はきっと苦しい時期だたろうと思うのです。
私の祖父、清六は賢治の八才年下の弟です。
その祖父が、「『雨ニモマケズ』は賢さんは作品として書いたのではないよ。
あれは祈りだよ。」と言っていたのが心に焼きついています。
「東に病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲の束ヲ負イ・・・」と東西南北に書かれたこの部分「行ッテ」が特に大事だというのです。
賢治にとって「法華経(ほけきょう)」をこの世で実践することがなにより大事であり、智恵や知識があっても行動しなければ意味がないからです。
行動こそ「行ッテ」なのだそうです。