さがしています
作 アーサー・ビナード
写真 岡倉禎志
いただきます
レイコという 女の子は
ぼくの ふたを ぱかっと あけて
ごはんと 豆を たべてくれる はずだった
ぼくは さがしているんだ
レイコちゃんが いえなかった
「いただきます」を
トシヒコくんは 毎日
ヒロシマの 工場で はたらかされて
あそぶ 時間が なくなっちゃった
8月6日の あさ
ピカアアアアアッと 光った
トシヒコくんのからだは やかれた
家に のこった ぼくらも とけて
まんまるじゃなくなっちゃった
なんの ために はたらかされていた?
あそぼ
あそぼ
なにして あそぶ?
ぼくらは さがしているんだ
ブルーのワンピースを着たセツコさん、助かったと思ったが放射能はじりじりと身体をこわした
どんな火にも負けなかった急須(きゅうす)は、ウランの熱でゆがみ穴が空いた
書いてくれる人が、いなくなった日記帳
鼻を、うしなったメガネ
とじこめられたアメリカのヘイタイ、とじこめた日本のヘイタイを知っているカギ
人のかげだけを残したコンクリート
1945年 8月6日
原子爆弾が ピカアアアアアッと おとされた
たった いっぱつの
ほんの 1キログラムの
ウランが はじけて まちを ぶっこわした
ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸
絵 ベン・シャーン
構成・文 アーサー・ビナード
1954年1月22日
第五福竜丸という りっぱな船に 23人の 漁師が のって 焼津の みなとから 海に でた。
2月7日に マグロの 漁を はじめたが、マグロが 見つからなかった。
そして3月1日の 夜あけまえ‥‥
いきなり 西の空が まっ赤に もえた。
ドドド――ン!
爆発の音が ひびいた。
しばらくして 空から こんどは 白いものが ふってきた。
みんなの 上に なん時間も 灰は ふりそそいだ。
・・・・・
第五福竜丸は スピードをあげて 焼津へ かえることにした。
その 3千キロをいくのに 2週間は かかる。
それでも 無線で「たすけてくれ」と たのむと なにを されるか わからない。
水爆という 見てはいけなかった、秘密を 見たのだから。
みんなの 鼻の穴と 耳の穴と 爪のあいだ へその ごまの中にも 放射能は もぐりこんだ。
9月23日 久保山さんの 心臓は とまった。
「原水爆の 被害者は わたしを 最後にしてほしい」といって かれは なくなった。
実験は その後 千回も 2千回も くりかえされている。
アーサー・ビナードは、石版工として、石の抵抗に負けず、迷いもブレもなく線を彫り込むことを覚えたベン・シャーンを語っている
ことばメガネ
文 アーサー・ビナード
絵 古川タク
商店街で道草
メガネ屋のおじさんがあらわれ、話しかけてきた
”英語メガネ”?
横断歩道が
「えっ、まるでシマウマじゃないか!」
すると、おやじさんが「ザッツ・ライト!」
「ストライプいっぱいの横断歩道を、英語では
ゼブラ クロッシング
とよびますからね」
水槽をのぞけば
ナマズがネコに!
「あたり!英語では
ナマズのことを
キャット フィッシュ
とよぶからね」
日本の悲しみをアメリカの人が伝える貴重な絵本だと思います